「人生100年時代の考え方、そして実践」的なやつ
古代ギリシャから「人としての生き方」や「幸福論」といったことは語られ続けているのに、その収束にはけっして近づいているとは言えないことからも、こんなことをテーマとして今さらながら凡人の自分が語ることは愚かなことなのかもしれない。
それでも、人が死ぬまで生きていく期間、それが100年になった、そしてそれを「人生」と呼ぶならば、その間の計画を立てて実行することは至極当然のことのように感じるので、今の考えを記録したい。
「人生」とは
「人生」とは人が死ぬまでの期間のことを言う。その経過そのもの。だから「人生をよくしたい」や「人生を考える」といった言い回しは正常。しかし「お前の人生はなんのためにあるんだ」とか「人生とはなにか」といったメビウスの輪行きのような疑問は成立しない。
「人生」がこれまでよりも長期化する傾向にある、ということをわかりやすく表した言葉が「人生100年時代」それだけだ。
それを踏まえて、自分なりにこれからどう生きていこうか、と25歳になろうとしている今、考えた。
25年間生きてみて
100年生きると仮定する。すると25歳はちょうど4分の1がおわったところだ。あと4分の3残っている。
誕生日は7月1日。4.5.6月の3か月を終えて残り、9か月、4分の3残っている。
この偶然から、仕事などで言われる四半期を思い浮かべた。
1/4は人の異動や部署の配置換えが行われる、と同時にその年度の計画を立てる。2/4以降は1/4でたてた計画をもとに実行する。そして4/4では年度の成果をまとめて、翌年度の計画に反映させる。
その繰り返しと、また組織の規模や事業の内容によって5か年10か年といった長いスパンの計画が立てられもする。
人生をこの四半期で区切るとすると、ちょうど今は1/4から2/4に移る時期だ。それなのに年度の計画をまだ立てていないことになる。いけない。
2/4以降は計画を実行していくことになるが、都度修正していく必要もあるだろう。同時に、2/4をさらに四半期に分け、それぞれの目標達成のための計画が必要になる。
「理念」を持つこと
ここで理念について書いておく。
Googleは「ユーザーに焦点をあてろ」とユーザー第一を掲げて、圧倒的なシェアを誇り群を抜いて便利なサービスを提供し続けている。
このような社訓は創業当初からあったものなのか。いや問いが悪い、社訓や理念があったからGoogleは成功し、ここまで大きくなったのか。違うと思う。
もちろん崇高な理念を掲げて実践している企業は強い。これは真である。
また理念なき組織はいずれ弱体化する。これも証明は難しいが真といっていいだろう。
しかし、崇高な理念を掲げた会社が成功する。これは偽だ。
松下幸之助や御木本幸吉やザッカーバーグが企業当初から「すべては~」のような理念を語っていたというのはあまりにもメルヘンチックすぎる児童向け絵本のご都合主義た。彼らは愚直に資本主義における成功を目指して、利益を出し、組織を大きくした。そうしが過程が物語となり、いつしか「理念」や「社訓」といった名前に変わった。そう思う。
だから人生においても、あまり初めから頭でっかちになり、「これだけは譲れない拘り」や「モットー」や「座右の銘」は無理して定める必要はない、と思うのだ。
けっして若いうちからそう言ったことに拘ることは悪ではないが、うまく付き合うのはとても難しい。
項目だて
そのうえで、計画の立て方を考えよう。
まずは「人生」は何をもって計るか。幸福、ということでいいだろう。
ではなにをもって「幸福」を得られるか。これは人によってかなり差異があると思う。このことを少し自分なりに考える必要がある。自分の場合は「人間関係」だ。「人と過ごす時間」「友人」「家族と食べる食事」いろいろとあるが、自分は好きな人といる時間も当然だが、苦手な人、嫌いな人すべてふくめて「人間関係」。嫌いな人との絶妙な距離感を保ったまま仕事を頼めた、苦手な人と2人で過ごした時間を思ったよりも楽しく過ごせていい関係になれた、そういった「人付き合い」が好きで上手くいったときは至高の瞬間。
「人間関係」を「良く」するために必要なのは、自らの健康な「肉体」、不足ない「金銭」、余裕のある「精神」であると考えた。
3つの柱のどれかが安定しなかったら一番優先度の高い「人間関係」もぐらついていしまう。そうならないために、下の3本柱をしっかりと保つ必要がある。
このように自分の幸福に関わる要素を考えたら、それぞれの項目ごとに小目標を乱立する。近い将来の話でいい。例えば肉体なら、11月の福岡マラソンでベアフットで完走する。金銭なら月の積立額をいくら、何年間でいくら。といった具合に思いつく限り列挙する。
そしてそれら小目標を分析して傾向から、各四半期の中目標、全体における大目標を定めていく。そして小目標を達成するための計画を立て実行する。その実行の連続が物語となり、ゆくゆくは「理念」のようなものになるのではないか。
そんなことを考えた残り少ない24歳の夜だった。25歳までに計画を立てなければ。