うどんの食べ方

考えていることや、考えたことを忘れないためにも書いておこうと思います。

「人生100年時代の考え方、そして実践」的なやつ

古代ギリシャから「人としての生き方」や「幸福論」といったことは語られ続けているのに、その収束にはけっして近づいているとは言えないことからも、こんなことをテーマとして今さらながら凡人の自分が語ることは愚かなことなのかもしれない。

それでも、人が死ぬまで生きていく期間、それが100年になった、そしてそれを「人生」と呼ぶならば、その間の計画を立てて実行することは至極当然のことのように感じるので、今の考えを記録したい。

 

「人生」とは

「人生」とは人が死ぬまでの期間のことを言う。その経過そのもの。だから「人生をよくしたい」や「人生を考える」といった言い回しは正常。しかし「お前の人生はなんのためにあるんだ」とか「人生とはなにか」といったメビウスの輪行きのような疑問は成立しない。

「人生」がこれまでよりも長期化する傾向にある、ということをわかりやすく表した言葉が「人生100年時代」それだけだ。

それを踏まえて、自分なりにこれからどう生きていこうか、と25歳になろうとしている今、考えた。

25年間生きてみて

100年生きると仮定する。すると25歳はちょうど4分の1がおわったところだ。あと4分の3残っている。

誕生日は7月1日。4.5.6月の3か月を終えて残り、9か月、4分の3残っている。

この偶然から、仕事などで言われる四半期を思い浮かべた。

1/4は人の異動や部署の配置換えが行われる、と同時にその年度の計画を立てる。2/4以降は1/4でたてた計画をもとに実行する。そして4/4では年度の成果をまとめて、翌年度の計画に反映させる。

その繰り返しと、また組織の規模や事業の内容によって5か年10か年といった長いスパンの計画が立てられもする。

人生をこの四半期で区切るとすると、ちょうど今は1/4から2/4に移る時期だ。それなのに年度の計画をまだ立てていないことになる。いけない。

2/4以降は計画を実行していくことになるが、都度修正していく必要もあるだろう。同時に、2/4をさらに四半期に分け、それぞれの目標達成のための計画が必要になる。

「理念」を持つこと

ここで理念について書いておく。

Googleは「ユーザーに焦点をあてろ」とユーザー第一を掲げて、圧倒的なシェアを誇り群を抜いて便利なサービスを提供し続けている。

このような社訓は創業当初からあったものなのか。いや問いが悪い、社訓や理念があったからGoogleは成功し、ここまで大きくなったのか。違うと思う。

もちろん崇高な理念を掲げて実践している企業は強い。これは真である。

また理念なき組織はいずれ弱体化する。これも証明は難しいが真といっていいだろう。

しかし、崇高な理念を掲げた会社が成功する。これは偽だ。

松下幸之助や御木本幸吉やザッカーバーグが企業当初から「すべては~」のような理念を語っていたというのはあまりにもメルヘンチックすぎる児童向け絵本のご都合主義た。彼らは愚直に資本主義における成功を目指して、利益を出し、組織を大きくした。そうしが過程が物語となり、いつしか「理念」や「社訓」といった名前に変わった。そう思う。

 

だから人生においても、あまり初めから頭でっかちになり、「これだけは譲れない拘り」や「モットー」や「座右の銘」は無理して定める必要はない、と思うのだ。

けっして若いうちからそう言ったことに拘ることは悪ではないが、うまく付き合うのはとても難しい。

項目だて

そのうえで、計画の立て方を考えよう。

まずは「人生」は何をもって計るか。幸福、ということでいいだろう。

ではなにをもって「幸福」を得られるか。これは人によってかなり差異があると思う。このことを少し自分なりに考える必要がある。自分の場合は「人間関係」だ。「人と過ごす時間」「友人」「家族と食べる食事」いろいろとあるが、自分は好きな人といる時間も当然だが、苦手な人、嫌いな人すべてふくめて「人間関係」。嫌いな人との絶妙な距離感を保ったまま仕事を頼めた、苦手な人と2人で過ごした時間を思ったよりも楽しく過ごせていい関係になれた、そういった「人付き合い」が好きで上手くいったときは至高の瞬間。

「人間関係」を「良く」するために必要なのは、自らの健康な「肉体」、不足ない「金銭」、余裕のある「精神」であると考えた。

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3つの柱のどれかが安定しなかったら一番優先度の高い「人間関係」もぐらついていしまう。そうならないために、下の3本柱をしっかりと保つ必要がある。

このように自分の幸福に関わる要素を考えたら、それぞれの項目ごとに小目標を乱立する。近い将来の話でいい。例えば肉体なら、11月の福岡マラソンでベアフットで完走する。金銭なら月の積立額をいくら、何年間でいくら。といった具合に思いつく限り列挙する。

そしてそれら小目標を分析して傾向から、各四半期の中目標、全体における大目標を定めていく。そして小目標を達成するための計画を立て実行する。その実行の連続が物語となり、ゆくゆくは「理念」のようなものになるのではないか。

 

 

そんなことを考えた残り少ない24歳の夜だった。25歳までに計画を立てなければ。

これまで読んできた本たち。キンドルの良さ【追悼】エリックカールさん『はらぺこあおむし』

〇幼稚園、小学校入学前

寝る前に絵本を両親のどちらかに読んでもらうのが日課だった。今思い返せば今日はどちらが読むんだと、父母2人が押し付けあってたなと思う。たしかにめんどくさかったんだろう。

量で言うとかなりたくさんあった。そのなかからピックアップして「今日はこれ」とリクエストする方式を採用していた。僕と弟が一緒に寝ていたがそのどちらかが選んでいた。

思い出せるものは『ぐりとぐら』シリーズ『はらぺこあおむし』『ピッツアぼうや』『とんとんとめてくださいな』『ふくろにいれられたおとこのこ』

題名が出てこないが記憶にあるのは、文章が無い絵本で女の子が傘をお父さんに届ける話。傘だけ赤くてそれ以外は白黒だった。文章が無いシリーズで雲が擬人化されていて冒険だったか何かの話。絵がラッセン系統のリアリティグラフィックで記憶に残っている。

あれだけたくさんあったのにこれしか思い出せないとは両親に申し訳ない限りだが、子供なんてそんなものなんだと思っておこう。あといろいろとこれが教育にいいとかこれは悪いとかいろいろな論議が子育て絵本にもあるようだが、少なくとも当時の記憶を掘り起こした限りだと的外れ感が否めない。子供が好きなものに理屈や筋は無い。「このえがすき」「なんかぶきみ」で惹かれたり全く惹かれなかったりもする。

ようするにいくら考えても仕方ないのでうちの親のようにたくさんの本を読み与えるか、なにもしないかでいいと思う。

少なくとも自分にとっては良いことでその後も本を読む習慣が自然と身についた。

ちなみにそれらの大量の本は小学校に寄付したらしい。

 

〇小学生

近所の図書館は小さかったので少し離れた隣の市の図書館に車で行っていた。

読み聞かせの絵本からレベルが少し上がっている。『かぎばあさん』シリーズ『シートン動物気』『ファーブル昆虫記』『ドリトル先生』いわゆる児童向けとうたわれている本はだいたい読んでいたと思う。シートンの「狼王ロボ」の話がとても好きだった。たしかメスを捕まえるか殺すために雄の身体を切り刻んで、、、と変な風に記憶していたが、今調べたら全然違った。雄が残って最愛のメス、ブランカが先につかまるのか。それでロボは悲しみに暮れ捕まったのちに餌に手を付けず死ぬらしい。最後にシートンが感動していたのはなんとなく覚えている。解決ゾロリなどもおそらく全巻読んでいると思う。いししとのしし。いいキャラクターだしネーミングが素晴らしい。エンマ大王に舌を伸ばされるときにガムを噛んでいた描写が目に浮かぶ。

怪人20面相もこの頃にはまった。20面相の身体能力の高さがうらやましかった。何の話か忘れたが、助手の少年が20面相を追い詰めてあと少し!というところでひらりと屋根に逃げられ見失う、というシーンがあった。その時20面相は雨どいをつかんでそこを支えにして屋根に飛び移っているはずだ。体操の鉄棒競技のように。雨どいにそんなに強度があるのかと疑問におもったのを覚えている。あと小学生低学年で下なしおにごっこや木登りの全盛期だった。誰も行けないところに行けるのはヒーローを意味していた。だから20面相がうらやましかった。雨どいつかんでひらりと屋根に、なんてと本気で夢想していたのを覚えている。

低学年のシートンドリトル先生から少し記憶が抜けているような感じがするが、次の記憶は、はやみねかおる作品だ。

これはもうめちゃくちゃに面白かった。『そして5人がいなくなる』探偵?のよれよれ黒服に黒いサングラスのおじさんと3人の女の子が表紙のやつ。これが家にたまたまあって手に取ったのがきっかけだったはずだ。姉のものだったのかな。ジョーカーという華麗な銀髪の盗賊シリーズ、リアルRPGとよばれる現実世界でおきるさまざまな課題をクリアしていく2人の少年トムソーヤーシリーズ。どれも全巻間違いなく読んでいる。トムソーヤシリーズには影響を受けた。岩に傷をつけて隙間に木の皮を挟み込む。湿らせておく、まつ。すると何時間後かにわれている。本当か。タオルを結び付ける、湿らせる、木の枝に投げる、巻き付く。すると登れる。たしかに。いまでもたまに思いだす。ショッピングモールの何階かから傘のビニールを結び合わせて体に巻き付け、飛び降りる、だいじょうぶ。本当か?

これは小学校6年くらいまで続いていた流行ではないかと思う。

小学校3、4年を思い出した。僕らと駐在さんシリーズ、あれは危険だ。先生に反抗したり、火薬使ったり燃やしたり、危険なことをそそのかす。本当に先生に黒板消しを落とそうと必死になったりした。

並行してダレンシャン、デモナータシリーズも大流行した。ダレンシャンは多分小学校3、4年のころか。仲のいい友達に教えたら大はまりしてその友達のお母さんに感謝されたのを覚えている。ダレンシャンのクレプスリーが生きてたら、の空想の章は忘れられない衝撃だ。しかし彼は死んでしまった。それにしてもあの騙し章はひどい。まだ幼かった自分は本当にあれが起きたものだと信じたものだ。まさかそんな。

山田悠介『Aゲーム』が流行ったのは小学5、6年だった。『スイッチを押すとき』はよかった、Aゲームやそれ以外のゲーム系はなんか単調だ、リアル鬼ごっこは設定に無理がある、などと世間の流行に対して、すこし斜めに構え始めたのもこのころだったんじゃないだろうか。

〇中学

野球部に入って、ワックスで髪の毛を上げて眉毛を細くした。それでも本を読んでいた。学校の図書館の蔵書がとんでもなくて感動を覚えた。

小学校終わりから中学にかけて父親が読んでいた世間の流行本、東野圭吾池井戸潤、雫井秀介、誉田哲也高村薫百田尚樹を読み始めた。周りであまり読んでいる人はいなかったのでこれは斜めに構える必要はなかった。シンプルに面白かった。ストロベリーナイトはすごい。竹内結子さんの映画を含めて素晴らしかった。容疑者Xの献身はいまでも東野圭吾No1だ。(そんなに読んでない)雫井秀介の健康のために四肢を切り落とす医者の話は、これは画期的だなと本気で思ったところでサイコ医者ものだったと気づき、いろいろな意味でショックだった。百田尚樹で一番好きなのはボックスでもモンスターでも海賊でもなくて錨をあげよ、だ。村上龍にどっぷりはまったのも中学のころか。初めは歌うクジラだった。小6で読んだ。意味が分からなかった。変にエロが入ってくるので童貞には処理しきれなかった。父親はどういう意味合いで読ませていたのだろう。中学で愛と幻想のファシズムに感動した。自分ならスズハラトウジになれると思った。ゼロが嫌いった。アラスカに狩りに行きたいとこのころから本気で願うようになった。中2で書いた将来の夢は旅人。

たしかこのころ初めて読書をすることが偉いことだと認識する。まず教室で本を読んでいる人間はあまりいない。図書館で借りた本を机に置いていると先生が「おお、これ全部読むの?えらいねー」と声をかけてきた。なんだそのお世辞っぽすぎるお世辞は、と思ったが今思えばたしかにそのお世辞は成り立っている。その感覚がわからなかった。一般的に本を読むことが偉いといわれていることが本気でわからなかったからだ。

弁当を食べながら面白すぎて本を読んでいた。みんながグループで食べているので本を読みながら食べていた。浮いていたりいじめられていたわけではないのだが。しょっちゅう話しかけてきてうっとうしかった。今思えばあれは周りが気を使っていたのかな、と思う。

みんなに読まれていてよんでいなかったハリーポッターも中学で読んで面白すぎた。世界中の批評を耐える作品はまだそれほど年月を耐えていなくても価値がある。

さっきの読書がえらいと認識してから、少しずつ価値観が変わっていった。えらいっぽい本を読んだりした方がいいのかな、と考えたりした。ニーチェ全集を開いたり全く興味のない書棚から本を選んだりするようになった。ほとんど面白くなかったので記憶にない。

新渡戸稲造の武士道も中2のテスト期間に部活が無い間に読んだ。内容はまったくだ。ただ「読んだ」というために読む。そうゆうことをするようになった。

〇高校

部活がとんでもなく忙しくなる。スマホを手にする。紙の本を読むことがかなり減った。単語帳を電車で見るようになった。

大学受験が近づくにつれて周りが単語帳を折って、自分仕様にしていく中でまた流行に斜めに構える悪い癖がでる。電車自習室では新聞を読むようになった。部活していれば大学にはいけるので勉強もしなくなった。本はちょろちょろ父親が面白かったという本を読むくらいだった。柴田哲孝『GEQ』面白かった。ほかの作品も一気に読んだがGEQが一番。本当だと信じてうんちくぶって友達に話したりもした。いい迷惑だ。

のぼうの城の作者もいい。ジョーカーゲームシリーズや新作が吊り下げ広告にでたりしてわくわくしていたのを覚えている。池井戸潤誉田哲也はコンスタントに出してはいたがだんだん手に取らなくなっていった。なぜかはわからない。父親はあいかわらず武士道シックスティーンが好きだった。

貴志祐介の魔法をつかう話、タイトルは失念したがあれは面白かった。黒い家や悪の経典のようなサイコホラーが人気だが個人的には彼の真骨頂はSFだと思う。新世界よりだ、思い出した。

〇大学

高校卒業から大学にかけて、IQ84を読んで引き込まれた。しかしなぜかここでは村上春樹にはまったわけではない。

大学1年の真ん中頃、高校の友人と久しぶりにあって『風の歌をきけ』を渡されて完全にはまった。もうここからは、ブックオフがあったら「む」に直行して村上春樹の読んでいない100円作品を買い集めて読む生活だった。たまに横の龍のよんでいない作品を一緒に手にする。

村上春樹で一番好きなものは『風の歌を聴け』だと思うが、自分はエッセイや邦訳も好きだ。『たのむから静かにしてくれ』独特のレイモンドカーヴァー節だが村上春樹の訳じゃなかったら読めたものじゃない、気がする。彼のエッセイでエントリーシートに何を書くか迷っている若者に対するアドバイスがあった。タマネギの肉詰めについて書きなさいというのが彼の答えだ。これは今でも使わせていただいている。いろいろなバージョンで。

大学では文系だったが、中学で患った「「読んだ」というために読む病」をこじらせ、それはそれは多岐にわたって読んだ。読まないといけなかった。三島も読んだし、ドストエフスキーも、プラトンも、国際関係系も論文も。たくさん「目を通した」。たいていが無駄な時間だったなあと今になれば思う。いや、少なくとも今の自分を構成する何かしらにはなっているだろうし、現に今こうしてかくためにネタになってくれているのでそれだけでもいいのだが、別に無理してよまなくてもねえ、という感じだ。

ビジネス書と自己啓発だけは手にしなかった。文系学部にはそうゆうところがある。古典至上主義、今人気がある本はくそ、と言っておけばとりあえず間違いはない。カーネギー7つの習慣、ハーバード睡眠本、流行のタイトルだけ把握して中身は知らないそれで良かった。

大学での読書週間がかなり自分にとって負担だったのか、あまり本を読むのが好きじゃなくなっていた。読んだらそれに関して何か批判しないといけないし、感じないといけない、そう思ったりした。オーウェンの1984、夢野久作少女地獄、安部公房砂の女遠藤周作わたしがすてた女、谷崎は陰翳礼讃ではなく春琴抄、ぱっと思いつくこのような素晴らしい名作に出会えたのはこの期間があったからだ。しかし小学校のシートン動物記を読む素直さがなかったのが悔やまれる。

最近になって、キンドルを買った。キンドルアンリミテッドも始めた。

これまで紙の本にこそうんたら、と言っていたが使っていたらかなりいい。軽い、読みやすい、電池も持つ、何よりそれ一つでたくさんの本が入っている。

本当にいろんな本が980円で読めていい。食わず嫌いしていたビジネス書もよんでみた。「最短で~を確実に成功する~」のような見るからに無価値の本を読むこともいいと思ったりもした。これまでのすこし偏った、「教養病」に侵されていた自分をフラットな位置に持ってくるためにも少し乱暴な治療が必要かなと思ったりもして、読んだ。980円だし。だが、読めば読むほどここまで、できてきた自分が壊れる気がしてやめた。それは嫌だった。

哲学書がトップに出てきたので読んでみた。ニーチェのツラトゥストラはわけがわからず辞めた。セネカはわかりやすくてよかった。ソクラテスの弁明は思っていたのと少し違って驚きがあった。

今は日本人作家ハードボイルドを主に読んでいる。矢月秀作、黒川博行、昨日呼んだ馳星周はかなり好きだ。テンポ世界観、ダークさ、汚さ、言葉、バッドエンド。

自分の知らない世界がこんなに残っているのかといまさらながら認識して、ただシンプルに本を楽しめるようになった。

キンドルのおかげ

 

普通に行こう、ふつうに

かれこれ1年くらいサンダルで走っています。

わかる人は、おっ?ってなって、わからない人は、は?ってなる話だと思います。

 

私は中学の頃、陸上部で中距離パートをやっていたので1500mとか3000mとか走ることに抵抗があまりありません。ちなみにこの表現がとても大事で陸上界で得意、とかなんなら速い、なんて表現は口が裂けても使ってはいけない。体育祭で1位で得意な気持ちになったり、県大会の出場基準記録を突破したところで、1500mを平気で4分切ったりする年下の人間を見たら、その場に正座をして背筋をただ伸ばすことしかできない。(完全に自論だが)

だから「抵抗があまりない」くらいがちょうどいい。別に得意なわけではない、本気で。こうゆうこともあり陸上は中学で辞めてしまったのだが。

 

走りが苦手ではない自分は、大学2年で本格的にスポーツをすることから遠のいてからも走り続けている。

その強度はまちまちだが、「ハーフは走るけどフル走りたくない」くらいだったり、一定期間本格的に走りこんだり、本格的にただのジョガーになったり、もはや月1くらいで走って「ああ気持ちよかった!ビールがうまいな!」とかいっているオジサンみたいになったり、そのレベルはかなり幅広い。共感してくれる人は多いと思うのだけど。

その中でも、2年前はかなり本格的に走りこんでいた。というのも中学では3000mで10分を切ることが出来なかったから、それを切ろうというのだ。

10分というのは、速くもなく遅くもない。そんなに走らない人からしたら、はや!といわれ、本当に走る人からしたら、誰?って感じだろう。

ちなみに参考までに箱根駅伝の人たちは3分/1000mだと思ってくれたらいいだろう。それより速かったり遅かったりもするが。だから彼らは平気で3000m9分を切る。そう考えたら10分というのがどのへんかわかっていただけると思う。

 

そこで僕は3000m10分切りという目標を立てて、練習に励んだ。ペース走からインターバルからビルドアップから、なにからなにまで。中学の部活のメニューを思い出して、あとは速い知人に聞いたりした。

 

晴れて9分45秒で目標は達成した。それがおもったよりもきつくてきつくて、その時こう誓った「もう二度と運動という運動はしない」

それでも体を動かすというのは人の欲求なのかもしれない。不思議だ。しばらく体がなまっているときは外に出て少し歩くのも嫌になることもある。なのに長い期間で考えると、大半の期間は継続的に運動をしている。

まったく運動をしない、という人もいるようだけど、本当は彼らも運動したいんじゃないの?と思っている。そう答えなくても体は本能的に求めているとか。少し汗流したら気持ちいいとか、たいてい言うじゃない、おじさんとか特に。

 

話がそれたが、その誓いから1ヶ月後には走っていた。しかし目標を決めてそれを達成するために練習をするというのは、本当にしんどい。目標が達成できればできそうなほどしんどい。だからタイムを決めたりするのはやめた。そのかわりまるで裸足かと見まがうほどの薄さのサンダルでフルマラソンを走ることにした。

ベアフットランというらしい。いつかハーフマラソンに出場した時に、裸足で走っている体格のいいおじさんがいると思ってよく見たら薄いサンダルはいていて、知った。

「ただランニングシューズを履いて速く走ったりするのはもういいから、長い間怪我をしない頑丈な体を作る」というテーマもとても気に入った。なにより人口がまだまだ少ないことが素晴らしい。

公園などを走っているとたまーに見かけるがそのときは仲間を超えて一気に親友になった気分を味わう。あとこの素晴らしいのはどんなスピードで走っていてもある程度のレベルに到達している玄人感がにじみ出ることだ。別に玄人感は必要ないのだが。

普通のシューズで走っている人はたくさんいるし、それでちんたら走ってたら、昨日ランニング始めましたみたいなおばさんに仲間だと思われてすれ違ったときにニコッなんてされて妙な屈辱感を味わう。それが嫌だからスピードを不本意にあげたりして、息が上がって、それでペース落とすのは自分の性格上許されないからもともと決めたコースをそのペースで走りきることになり、なんだかいつもいつもきつくなる。

そこでこのサンダルをはくとどんなにダサい半ズボンでも、ただの綿ティー着ていても玄人になれる。キロ7分くらいの歩きに近いジョグでもさまになる。「あーあの人長いレースを終えて今日はレストで足休ませながら体のバランス整えてるんだな」と周りが納得した目つきでこちらを見る。しかしじろじろは見れない。玄人だから。すれ違ったあとに振り返って自分の後ろ姿を眺めている。

それがこのベアフットランの素晴らしいところ。ちなみに『ゼロシューズ』という商品を使っている。商品名通りゼロだ。はいているところをみてもはいていることがわからないと思う。薄すぎて。測ったら0.02mmのオカモト製だった。

嘘だ。

あと欠点は、走ると自分の場合はふくらはぎの下部に疲れがたまる。昨日3週間ぶりくらいに10キロくらいいきなり走ったため今日はずっと痛かった。

しかしこれは時間が解決する。すぐに普通の靴のように、慣れる。慣れたときの身体は、靴で走っていた時の身体とはもう組成からかわってしまっているのではと思うほど何も感じない。

自分ですごさを実感することはできないが、今普通の人に裸足でコンクリートを10キロ走らせたりしたら膝が足首かなにかしらは怪我するはずだ。

それがサンダル走りをつづけていたらそれが通常になるんだからすごい。江戸の飛脚ですら、草履をはいていた。あれのほうがクッションあったろうし、しかも当時は地面は舗装されていない。

江戸の飛脚越えの足を手に入れるためにもベアフットランをおすすめしたい。

 

というような普通のことをブログに書いていこう、と思ったんだった。昨日書き始めて寝てしまったので忘れていたが。

なんかいつも何を書こうか難しく考えすぎて100以上伝えたいことがあるのに15くらいしか伝えられずにもどかしかった。文章力や表現力もあるけどなにより頭の中が整理されていないものを、いざ表現といっても土台無理だろう。

この記事はなかなかスムーズにいった。おすすめの映画とか本の感想とかをもう少し丁寧に自分の言葉で書いていこう。

こんどは最近読んだ3冊の本をまるで1冊の本の感想のようにまとめて書いてみようと思う。

kenkosya.com

結局のところ、どうしたいの

一つ前の記事を書いている間は本当に盛り上がっていた。絶対にもっと人気の出るブログにしようと思ったしSNSでも発信しようと思っていた。

それから1週間、なにもしなかった。

その間なにをしていたかというと、最近の日本人作家のハードボイルド小説を読み、魚突き動画のYouTubeを見て、ハンドボール日本代表の試合をみて、キンドルアンリミテッドで読める哲学の本を読んで、さっきは映画を見た。あと今朝はブラックジャックによろしくの新バージョンを一気読みした。面白かった。

ひとつひとつのことには大きな意味合いは無いのかもしれないけど、それぞれがつながることによって大きな意味を持つことがある、とか、物事を捉える角度はたくさんあるとか。

もうそういった御託はいらないから、真実が欲しい。アレクサンダースーパートランプ。

見た映画は天使のくれた時間、ニコラスケイジがアメリカではイケメンで通るのか、という疑問と元恋人役の人がとてもきれい、ということで終始頭がいっぱいだった。

ソクラテスの弁明は、有名な量刑を決めるシーンが実は最後は罰金を支払うことになっていたことに驚きだった。

ハンドボール日本代表は最近本当に強くなった(らしい)ので見ていて楽しい。高校の先輩や仲間がこれからもっと活躍してくれると嬉しい。

魚突き動画は週末海にいますチャンネルにはまっている。動画の素材自体すごいのにそれにいっさい触れないトーク、そのスタイル自体がおもしろい。

普段見ないテレビも面白い。あいばくんが自然薯をほっていたのは少し感動した。かえったらすぐにやることリスト入り。

老人のこれからを考えるシンポジウムが面白かった。そのシンポジウムをやっている人たちが自分からすると老人ばかりで、それが一番面白かった。

今朝呼んだブラックジャックによろしくは考えさせられた。免許証の裏にドナー提供同意の欄がある。それに○しようとしたことは一度や二度ではないがなぜか踏みとどまってしまっていた。でも〇しないでおこう、と思った。もしもの時に親が苦しんだりさせることになるのならそれはいやだ。でももしドナーを求める側のストーリーを見たらまた逆のことを思うんだろうな、といま打ちながら思った。

あとフィルモラ動画編集ソフトの無料版でいろいろとgoproの動画を編集した。パソコンにただダウンロードしてそのままにしていたやつを一本の動画にするすべを手に入れられてうれしい。また思っていたよりも動画編集が簡単だったこともわかった。有料版にするかいまとても迷い中。

さっき見た中田敦ちゃんのYouTubeで宮迫をみた。最近見ないと思っていたらそうゆうことだったのか、と妙に納得した。それとキングコングの西野を見たときに感じる何かしらの嫌悪感の原因がわからず苦しむ。彼は、人は知らないと嫌いを混同すると言っていたけど、何か違う気がする。義とか徳とかそうゆうこと。自分でも、は?だけど。自分で自分の感情の理由が説明つかないと、嫌だ。それが上手な人がこのブログ界には多いと思う。こうゆうとき酒を飲んで脳を萎縮させたくなってしまう。今日も14時からもう6時間くらいのんでいるのか。

終活や東京五輪や緊急事態宣言や、たくさん問題はあるけど政治家は大変だ。しかし大変でもないのかな、と。自分で本当に考えて動くのは選挙のまえだけなのかな。あとは組織のなかの一員で役割を果たすという役割。

そう考えたら中小スーパーの店長さんのほうがよほどリスクをとって人生振ってて濃い味がするんだろう、とか思った。そして同時に華麗なる一族で万俵グループに買収されたスーパーの関西弁のおじさんの未来を思った。

「フォロワーの数はそれ自体が資産」ということに対して思うこと【決意表明】

何年くらい前からこうゆう事は言われ始めたんだろう。

少なくとも僕が中学高校のころ、ようするにスマホが全世代に普及し始めたころ。

ガラケーミクシィ掲示板とかが流行っていて(やってなかったけど)テレビでは「ネットがいじめにつながる」とか「子供が課金でうん百万つかって」てなことが騒がれていたころ。

 

 

当時から「えーフォロワー〇人、すごい」といった肌感はあった。

でも自分の周りに関してのみ言えば、Twitterでフォロワー多いやつはオタクっぽいやつだったし(今思えばギャクセンかなり高かった)ネット上の顔知らない友達とか、は?って感じだった。

だから絶対ツイートはしなかったし、んなことしてどうすんだ、と自分を貫いてきた。(かっこいい)

 

いまになって思えば完全に典型的な時代に乗り遅れて損するタイプの頑固偏屈親父候補生筆頭だ。

 

徐々に時代が変わって電車に座っている人の7/8人がスマホになって(本当にみるみる変わっていった)「インスタ」をやらない方がマイノリティになって、街の女との連絡先の交換はメールアドレスでもラインでもなくてインスタのアカウントになっていって。

このくらいからフォロワーの多いアカウントが売れるということを知った。7.8年前?

 

もうここまできたらただ自分を貫くか貫かないかの個人の葛藤である。そしてその葛藤に打ち勝ってきた人が、僕だ。(かっこいい。2回目)

 

このブログを始めたきっかけは、たしかこの葛藤の産物だった気がする。

2年ぶりに地元に帰って友人と会うと、なぜかその友人は自分の最近の動向を知っていたりする。

「この前上野動物園でラバ見ながらビール飲んでたんだよ、そしたらさ」

「あー、○○のストーリー見た見た」

「!?」

とせっかくの話の腰を真っ二つにおられる。悲しい。

 

おそらく本能的にずっと自分の生きる場所をインターネット上に欲していたのだろう。ブログなら、と思い始めたのだと記憶している。

 

始めるとキーボードに向かって書いていく作業はとても楽しい。誰に読まれていなくても。

でもこれが頻繁に人に読まれ、拡散され、高評価や低評価、たくさんのコメントにさらされると思うと自分のもろい心は耐えられるのか、と不安は消えない。いらぬ心配。

 

幸い今の仕事にSNSのフォロワーは一切必要ないし、この先も必要にはならない。公務員なので。

でもこの前ふと思ったのが、突然怖い人に「来週までに100万稼げ」って言われたらどうしよ、自分にはなにもないな、と。

資格も特にないし、ものをつくって売ったこともないし、仕入れたり、金を借りたりしたことすらない。

いつの日か西成で日雇いに朝4時から並ぶ長蛇の列をみて、金を稼ぐのは甘くないなと感じたのを思い出す。

 

高校の政経の授業で先生に言われた言葉

「今の君たちは残念ながら付加価値0。これからは付加価値を高め続けて必要とされる大人になりましょう」

うん。刺さる。「高め続け」ないといけないんです。

今のお給料は決して悪くはないけど、付加価値高める努力は、していない。書類作って資料作って。

  

現代社会に生きる多くの現代人は、ソーシャルネットワークという世界で当然のように息をし、生活している。そして今の小学生、中学生にとってそれはもはや特別なことですらない。

 

と、考えると将来子供ができたときに「うちの親父は昔の考えを引きずって云々」と言われる未来を想像した。辛すぎる。

 

ここまで1000字以上書いた。これくらいしないと自分にとってのこの硬い殻は破れない。

これからは苦手だったソーシャルネットワークの世界でも生きていく努力をしようと思う。頑固偏屈はなにもかっこよくない。

別にフォロワーが増えてお金が稼げるわけではないが、自分にとってはソーシャルネットワーク界に足を踏み入れるという挑戦にとてつもなく価値がある。

自分の書いたプログラム投稿したりするのを、意味わからん誰に見せてんの、とか言うのはなし。

逆らおうとするのはもうおしまい。

 

頑張るぞ。

 

来訪者0のこのブログを、どうすれば読まれるようになるか

と、考え少し調べてみた。

わかったことは、

SEO

・コンテンツの需要

の大切さ。

 

本ブログは今のところ、このどちらも大切にしていないので新たに読者があらわれる可能性は限りなく0に近い。

そして無駄が多くて冗長な僕の文章をわざわざ好き好んで読む人は今のところいない。

 

ということはこのままだと、あと500万記事書こうが、もし世紀の大発明をしてここのブログで発表しても(SNSを他でやっていない)誰にも認知されないということだ。

 

これはある意味ではすごいことではないだろうか。インターネットにおける「超満員の電車のなかで、めちゃくちゃ匂う人の周りだけぽっかり空いたスペース」

的な役割を今後は担っていくことになるのかもしれない。

 

もう嫌にならない!上司との微妙な10の世間話を楽しく乗り切る20の方法

 

目次

1 なによりも上司の名前を覚える!

皆さんが後輩と話しているときに「武田さんは~(本当は滝本さん」なんていわれたらどうですか?・・・

 

とかいった「需要のある」情報を発信して、(ふざけた)ブログを書いていって、(くそどうでもいい誰でもできる)人間関係にしぼったテーマを扱って、SNSでブログの更新を発信して、リンクを張ってもらうためにも積極的に人気のブロガーをフォローして、とやれば読者がだんだんと増えていく可能性があるらしい。

やってみようかしら。でもなんだか気持ち悪い気がするのは自分だけ?

 

こうやっていつもいつも周りのことを少し小ばかにしたような態度をとって、斜に構えて、すこし俯瞰して、絶対自分はやらずに、物事をを見てたらいつのまにか25歳になってしまったわけだが。

そしてこの性格は現在の本職以外にも収入を得てみたいという、この試みをも阻害するわけか。

 

いつからだろう。小学校3年生のとき全校一斉に将来の夢を描いて廊下に貼る課題があった。「甲子園のマウンドに立つ」という1学年上の同じ野球チームの先輩のを見てこう思ったのを覚えてる。こいつは正気か?(めちゃくちゃ下手だった)

それから自分も間に合わせの「プロ野球選手」なんて言っていられなくなり、じゃあ現実的で夢のあるっぽいことでパイロットとか、海保(海猿)とか適当に言い続けていたら10年くらいが過ぎいつの間にか大学に入って現職に至る。

気持ち悪い、で思い出したが

自分は「コロナ禍」という言葉が嫌いだ。あと「最近、どこどこ増えてるよね(やばいよね)」という感染者数の推移に関する世間話も大嫌いだ。

この気持ちの原因がわからなくて困っている。

 

昨晩話をしていて、この話になったときは

「そこに人一人、また家族の人生があるっていうのに完全に他人事でうんたら」

だからだと言いそうになったが、さすがに口にする前に明らかに本心ではないと思いやめた。少し考えて

「多くの人は政府の対応や、エビデンスの不確かさなどを取り沙汰している。論理的な批判。ここまでは良い。にもかかわらず感染者数という数字は絶対的な気温や雨量かのように疑いの目をもたずに、『東京から来たの?東京やばいじゃん』といった差別的なことをいったりする。論理的ではない。エビデンスは?この都合のいいところだけ「論理的な」思考過程がアパルトヘイトを許容した南アフリカの白人と似ている気がする」

 

とか思ったがなにか違う。しっくりこない。ただの言いがかりになっている気がする。

そもそも数字はある意味で絶対的なので、それをもとに皆が意思決定することは正しい。

ではこの「最近またふえてるよね」話に対するこのイライラ感はどこに端を発しているのか、わかる人がいたら教えてほしい。読者0だけど。

いちばん好きな映画は?と問われ即答できない人は映画好きと言ってはいけないと思う

題名の通りの持論がある。

この持論を主張してから「これはまずいな」と思い慌てて自分の一番好きな映画とはなにか、ということを決めたことは秘密だ。

この意味のない持論(自論)はまさしく意味がなく、ただ友達と飲んでいてその話の流れで自分がその場の思い付きで言ったたことのような気がする。

 

だが噛めば噛むほど何かを言い得ているような気がして気に入ってしまったので、飲み屋の席では結構使っている。

 

あとこれと似ているのに、「もし無人島に一曲収録のレコードを持ってけるとしたら何を持っていく?」というやつ。一曲収録のレコードなんてあるのかしら。そもそもレコードひとつももってないからかけ方も知らない。

 

答えは別にどうでもよくて、でもこの手の話はうんこ味のカレーより、汎用性が高くてしかも話しているとお互いになんだがインテリな気がしてきて酒が進むのでお勧めだ。