うどんの食べ方

考えていることや、考えたことを忘れないためにも書いておこうと思います。

ストーリー

ものごと(地球上でおきてる全ての事象をさします)には、一貫したストーリーが必要でそれがないと全くばらばらのただの点の集合になってしまう。そんなことを誰かに言われたことがある。誰もそんなこと言ってないかもしれないけど。

 

スティーブ・ジョブズ(スティーブって打ったらジョブズって出てきた。さすがアップル商品)のアップルが発売したiPodソニーウォークマンの違いがそのいい例によく上がる。

手先が器用で勤勉で真面目な日本人ソニーさんはウォークマンという昭和の大発明大人気商品の音質を極めに極めついにハイドロ?(名前忘れた)たる最高の、生よりも良く聞こえるというもはやそれはそれなのか、という凡人の僕には到底理解の及ばない音質を完成させた。

一方アップルはウォークマンと比べると音質も落ちる、付属のイヤホンも比べると劣る、iTunesは使いづらそう(当時はまだ使ったことない)と当時中学生の僕にiPodという選択肢はいっさいなかった。

 

しかし、今周りを見渡してウォークマンを使ってるのは一部のコアな音楽ファンとかなり太ったオタクっぽくて汗をよくかきそうなお兄さん(偏見です)が電車で使ってるのを見る程度。

これはもう完全にiPodの勝ちではないのでしょうか。

この戦いの勝敗を決めたのが、両者の戦略いわばそこに「物語」があったか、だと言われているのです。

ソニーはたしかに音質は極めた。機械は最高のものだった。しかしそこには物語がなかった。おそらく当時のソニーの参謀に(いるのか知らないけど)話を聞いていたらきっと全く楽しくないワクワクしない何ヘクトパスカルの音が何フィーと云々なんていう退屈な話を聞かされることになったんだろうな、と凡人の僕でも想像できる。(そんなことなかったらごめんなさい。)

一方アップルには物語があった。iTunesに接続してiPodで音楽を聴くiPodというのはソフトにコネクトするために必要な仕方なしのハードであって彼らがしたかったのはそれまでの音楽を聴くという行為の概念を革命すること。当時のアップルの参謀(ジョブズ?)はきっと目を輝かして僕だったら、こいつ馬鹿なんじゃないか、と思うくらい壮大な面白いことを考えてたんだろう。

圧倒的な技術力をもってしても、壮大な物語の前には藻屑となる、という1つの答えをここで出しておこう。

 

ではここで僕のブログを振り返って読んでみるとそこには見事なくらい物語性が見当たらない。というか今の僕の人生にそう言った、人に聞かせてワクワクさせられるよう面白さやスケール感は皆無だ。

このことにブログを書いてて気づけたことはラッキーかもしれない。

中学の頃は村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んで、おれは独裁者になる、だからお前らは日本人を団結させておれを倒せ、日本人はそうして目覚める!

なんてことを本気で言える面白さ?があった。と今では思う。こうやって過去の下らない自分の考えに囚われてる時点でもうとんでもないくらい下らない人間になっちゃってるんだけど、でもまだまだ22歳と若いし、この若さは今しかないものであって、何もできないかもしれないけど何かできるかもしれない、でもまずはやってみないといけない、だから物語を語ろう、ということがいいたかったわけです。

ご静聴ありがとうございますです、ほんとに。