うどんの食べ方

考えていることや、考えたことを忘れないためにも書いておこうと思います。

おかげ参り

江戸時代にはお伊勢参りをするとそれ以降の人生が幸せになるんだ、と言って皆伊勢神宮に行くことを切望したそう。大流行です。

今で言うなんでしょうかね。価値観が変わってしまって良い例えが思いつかないけど、一生に一度でも、、というのは本当にすごい頼みだなーとつくづく思う。

 

さらにその道中で「おかげさまで」と感謝の気持ちをもって旅をすることでご利益があると言われたんだそう。

だから「おかげ横丁」で「神恩感謝」なのでしょう。

 

神恩感謝、いまここにあることに感謝する。それをテーマにした太鼓軍団がありました。その名も「神恩太鼓」

「太鼓叩いて、太鼓叩いて、おかげさまで、五穀豊穣、太鼓叩いて、太鼓叩いて、おかげさまで、天下泰平!」

 

かっこよかったなー。人力車のお兄さんとか度職人そうゆう江戸っぽい格好するお兄さんにはすごい憧れを小さい頃から持っていたけれども、いつかやりたいという夢はまだ叶っていません。似合うと思うんだけどなあ。

 

なんだか最近人生って、とかこの先どうするか、とかたいそうなこと?ばかり考えてしまってたけど神恩感謝、この言葉なんだか単純ですっきりしてて響も良くてさらになんだか上手くいきそうで、昔の人はすごいなと改めて思わされた。

どうなるかなんて考えたところで仕方のないことで、なにができるか、どうするか、そのために今なにをするか、そして今できる最良の選択肢を全力でやる、ってわかってたじゃないか。スペンサーもポールにそう言ってた。

 

とは言ってもそう上手くはいきません。くねくねくるくるするのもそれまた一興。

三日坊主

三日坊主なわけではなく、平日は忙しいだけなんです。ほんとに。

 

「忙しい」の「忙」の漢字は「心」を「亡」くす、と書く。そんなことよほどのことでも無い限り言ってはいけませんよ。と昔先生に言われたことがある。意識して言わないようにはしてるけど、ついつい出ちゃうよね。ああ忙しい、忙しい。

 

関東から関西に越してから2ヶ月近くたつけれども、電車に乗るたびに思う。こっちの人は7.8人は座れるだろ!っていう座席に5.6人で座る。

というのも座席が関東の電車みたいに色やちょっとしたくぼみで分けられてないからっていうのもあるかもしれないけど、でもやっぱりなあ。東京でよく電車を使ってた人ならこの光景を見たら少しだけイラッとするんじゃないだろうか。こっちの人は何も感じないんだろうか。

あと、東京だとこうゆうときによく口うるさそうな、商店街の八百屋の前でずーっと話してそうなおじさんやおばさんが「グイッ」と間に入ってしまったりして周りはおおーーってな具合になったりする。すごいなあ、と。

関西の人は温かいや時には、やさしいと表現されることがよくあるけどそんなことはない。と思う。別にどこも同じ。

でもとにかく電車の座席は詰めてほしいなあ。せめて座席少しでも分割すればその意識も根付くんじゃないかな。

でも電車会社もダイヤの改正とか車両の点検とか、忙しいんだろうね。

思考はナマモノ

ブログを書き始めてから面白いことに気づいた。

これは!とおもって書き始めた内容も書き上げるのに時間がかかってしまって日をまたいだりするとどうも書く気が無くなってしまったりする。

何言ってんだおれは、ということになるのです。

決して冷静に考えたら内容があまりにも酷い、とかそうゆうことじゃなくてその時の考えはその時に1番熱を持ってる状態でそこで調理を済ませてしまわないといけないものなんだと思う。足が速いホルモンみたいに。

これは始めてから10分くらいで書き上げた。

こんな感じである程度雑でもいいからとにかく書き上げることを大事に、続けよう。

ピース✌️

小さい頃、といっても幼稚園から小学生低学年にかけてくらいのころ。

なぜだかは知らないけどカメラを向けられたときにポーズを取るのが恥ずかしくて仕方なかった。周りの男の子も女の子も見事にピースマークを作ってそれを顔に近づけて笑顔で可愛らしく写ってる写真も僕だけ、ぶすっとした顔をしてこちらを眺めている。笑顔を作るということも苦手だったんだと思う。

 

今では多少ましになったものの、それでもやはり恥ずかしい。カメラに向かって静止してキメているところを周りから見られている(誰も見ていなくても)のがなんだかこっぱずかしいんだと思う。

みんなはどう感じてるのだろう。

 

元来異常なほど恥ずかしがり屋だったのかというとそうでもない。人前で話したりすると脚が震えたり、声が震えたりということはあったけど、その中でもそつなくウケを狙ったりふざけたりするくらいの余裕はあった、はずだ。

 

でもやっぱり恥ずかしがり屋説が濃厚だ。さきほど僕のはじめての作品(?)をインターネットという大海に放り込んだわけだが、なんだか体の一部をうず潮にもってかれた気分で落ち着かない。(うず潮?)

そのせいかわからないけど文にも迷いやブレが見える、気がする。

ツイッターやインスタグラムをやってこなかった理由の1つもこれだと思う。言い換えれば自分が周りからどう評価されているのか、気になって仕方がないのだ。周りから、そんなキャラには見られていないことも知っているからそんな素振りは見せたことないが、真実はそう。だと自分では思ってる。

自分っていったいなんなの、もう。

 

思考の6割も伝えることは難しいとはいうけれども、6割どころか3割も書けている気がしない。なんだかムズムズするなあ。

うどんとナポリタンとコーヒーと

ナポリタンはイタリア料理ではなく日本発祥の料理だと知ってはいたが、「分類は?」と聞かれると困ってしまう。和食か洋食か、はたまたイタリアンか。

 

昔から文章を書いたり読んだりするのは好きだった。デレクハートフィールドは、完璧な文章なんて存在しない、と言うけれどそれぞれが書くものがそれぞれの「完璧」であって追及するものでも批判しあうものでもない、と言うのが僕の考えだ。

 

うどんもそうだと思う。うどんを食べるのはコーヒーを飲むのに似ていて決してグルメ好きが「うーん、ここのうどんはコシが強すぎるけど角がたってないから云々」と言ったことをしたり顔で語る対象では無いのだと思う。

 

コーヒーを飲むのに似ている、の意味を説明すると、コーヒーはその味自体が話題の中心になりがちだが僕にとってのコーヒーはミルで豆を挽くところから飲み終わったコーヒーカップを洗って片付けるところまでの行為全般を指す。その味も大事ではあるけどその行為の方がよっぽど大きな意味を持つ。

 

うどんを食べる、ということについて考えさせられたのもきっかけがあって、このゴールデンウィークに香川に行ってうどんの人気店で1時間30分まった。本当に1時間と30分。うどん屋に、だ。

 

もちろんそれだけ並んで食べたうどんは美味しかった。美味しかったと思わないと頭がおかしくなってしまうのかもしれない。こんな言い方すると実は美味しくなかったのに無理をしてるように聞こえるけど、実際とても美味しかった。色々うどんは食べてきたけどやはり讃岐のうどんは美味しい。なんだか元を取ろうと思って3杯で4玉も食べてしまってはちきれそうになったが、とにかく美味かった。

 

その後も昼ごはんにうどんを食べるために30分並んだ。この辺から何かしらの違和感を感じてることには気付いていた。この違和感はこの後すぐに解消されることになる。

 

全て美味しくて、その美味しさを一緒にいた人に伝えようと下手くそな食レポみたいなことをしたりもした。それこそ「冷ぶっかけはそのうどん屋の実力が真に出るんだ。理由はうどんの生地そのものの云々」的なやつを。今でも思い出すと恥ずかしく顔がぽっとなる。

 

帰りの高速バスを待っているとき。高松駅に行ったことのある人なら誰もがみたことあると思うが、ロータリーのところからみえる「讃岐うどん」の大きな看板。うどんを食べに行った人でもそうじゃなくてもその主張の激しさに少し気圧されて入ることのなさそうな感じの看板。バスの時間まで残り20分と少しだったと思うが意を決してそこに入った。最後にもう少しうどんが食べたくて。幸いとても空いていた。普段の丸亀製麺くらい。いつも通り、ぱっとお盆をとってぱぱっと注文してとんっとうどんが来て、じゅるっと平らげた。

 

 

はっ、とした。

 

 

うどんという食べ物。うどんは決してグルメではない。観念なのだ。例えるならばスピード感が大切な一種の儀式のようなものか。その行為自体で価値を発揮している。麺の食感を論じたり出汁の取り方を批判したり、するのはいい。むしろそう言うことがより美味しいうどんを生み出すのならば応援したいくらいだ。

でも「うどんが好き」ということはそれとは全く違う、のだろう。うだうだ言うために並んだりするのは誰か他の人に任せてればいいんだ。

もともと知っていた事をすごく遠回りをして再確認したような、そんなまどろっこしいけどなんだかとても気持ちが良いようなそんな気分になった。思い出したいけど思い出せないことをふとした拍子に思い出せた、そんな気分に。

 

この話はこれで終わりだが、終わるにあたって少し言っておきたいことがある。僕の文章は大部分を村上春樹に影響を受けている。他にも多くの作家の影響を受けてはいるのだろうが、直接的に意識しているのは彼だと自信を持って言える。

しかし今日初めて読んだ彼のエッセイ集はもっと簡単でもっと冗長でかつ短くてなにより要点がまとまっていて、テンポがよかった。

 

まだまだこれからか。完璧な文章を書くためには。