うどんの食べ方

考えていることや、考えたことを忘れないためにも書いておこうと思います。

好きな本3選

 

好きな本3選

について書きます。

 

1 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 JDサリンジャー(訳 村上春樹

 好きな本とは題をざっくり決めたものの好きな本なんて読んできた本の数だけあるようなものなので、ここでの「好きな」はなんどか読み返したくなる本、ということとしておく。

 普段はあまり読み返すことはない。本は捨てないが読み返すことはあまりない。それでもこの本は3回くらい読んでる、と思う。好きなシーンは主人公がホテルから見える別の部屋の客が変態ばかりだったところ。

 もう一つは殴られた後、銃に撃たれたふりをして鏡に向かってふざけるところ。

 あとなぜか忘れられないのは、湖が凍ったらカモメだかアヒルはどこに行くんだろう、ということ。

 

 たったいまプライムでサリンジャーの映画を見たが、嫌になったのが出版当時コールフィールドファンが赤い帽子をかぶって彼のもとを訪れたらしい。当時アメリカに自分が住んでいたらそうしていたのかしら。そんなのほんとにインチキだ。

 

2 『風の歌を聴け』 村上春樹

 ちなみにこの書いている順番にはなんの意味もない。ちょうど今、5時になり国旗が降下したところ。村上春樹と言えば何かの作品で中庭で国旗を上げ下げするおじさんがいた気がするが、あれはなんだったか。

 この小説の一番好きなところは、薄いこと。薄いと言えば限りなく~も薄くてとても良い。薄いのにとても良いところがどちらも素敵だ。

 村上兄弟(こんなこと勝手に言っていいのかしら)と呼ばせていただいているのだが、この二人の良いところはどこの書店に行っても隣に並んでいるので一人を見つければ必ずもう一人がみつかるところだ。この二人に親交があるのかどうかは知らないが。
 

 この小説も3、4回読んでいると思うが謎解きサイトみたいなものを読むまでは全く意味不明だった。けどなぜかめちゃくちゃ好きだった。謎解きサイトをみてからも、なるほど、と思っただけで好きなことに変わりはない。別に謎を知ったからさらに好きになった、とかいうこともない。かわらず面白い。

 

3 『ロビンソン・クルーソー』 デフォー

 ロビンソンが圧倒的にすごすぎることと、「ウェンズデー」のネーミングセンスがこの作品の光っているところだろうか。

 漂流ものや冒険ものは一時期はまってフィクションだけでなく星野道夫植村直己の冒険記まで集中的に読んだ時期があった。深夜特急は冒険ものかどうかは置いといて。しかし、ロビンソンが圧倒的に優勝している。奇想天外さでいくと「おろしや国粋夢譚」もなかなかのものだが、さすがに彼には敵わない。

 

 たしか始めて呼んだのは2年前くらいで、これは一度しか読んでいないとおもうが、強烈に印象に残っているシーンがある。ふっとい木を切り倒して、斧で削り大きな板を作るシーンがあった、はずだ。

 ちょうど当時キャンプや無人島系にはまっていたので、そういったことの大変さ、一見みるとやれちゃいそうに思えることが実際は手の皮はむけるしささくれだって痛いし、と身をもって体験していたのでなおさら身に染みた。

 

4『愛と幻想のファシズム村上龍

 これはたしか中学生で読んだ。同時は相当はまって、主人公のスズハラトウジ(だったはず)の真似までしていた。あの独特の話し方(彼の話している姿を見たことがある気までするのは村上龍あっぱれ)に近づきたくて、日本で独裁者になりたくて、その夢を友達に語ったのはいい思い出だ。

 

 エヴァンゲリオンの登場人物の名前がこの小説の影響を受けているという話をどこかで読んだか聞いたかしたが真偽のほうは未だに不明。どちらでもいい。ちなみにエヴァンゲリオンも面白かった。漫画しか知らないが。

 

 ゼロの愛人でフルーツという人がいた気がするが、この人は自分の読んできたことある小説の登場人物界で1、2を争う美人だ。ライバルは新宿鮫のロケット乳の持ち主。名前は忘れてしまった。

 

5『錨を上げよ』百田尚樹

 百田尚樹はボックス、モンスターの合わせて3作しか記憶にはないが、これが圧倒的に面白かった、と自分の記憶は言っている。中学三年で読んだことだけははっきり覚えているが、内容に関しては主人公が意中の女性に告白するが振られるシーンがなぜか頭の中で、当時の中学校の中庭での出来事として妙にリアルに再現され、興奮したことを覚えている。

 ちなみに海賊と~はなぜか上巻だけ立ち読みして下は読んでいない。

 

6『沈黙』遠藤周作

 遠藤周作、というと山下達郎、を思い出すのは自分だけだろうか。

 頭の中ではこの二人の顔は瓜二つである。もはや似すぎていて瓜一つでもある。

 たぶんだが山下達郎の日曜のラジオ番組のテイスト、あのおばさんに好かれていそうで恋愛相談をよくされている、あの感じ。それと遠藤周作のエッセイ、おばさんからの恋愛相談を受けるシリーズのあれ、が妙に頭の中でリンクしていて、脳内で顔まで同じにしてしまっているんだろう。

 

 映画でパードレ(日本に最初に来た方)を演じたリーアムニーソン?のあの苦虫をかんだような表現がなかなかのもので記憶に新しい。

 

 しかし小説はもっと、こう、えぐかった。なにか読んでいるこちらまで気分が悪くなるような、でもなぜか綺麗というか、不思議な読後感だった。

 

まとめ

 書いているうちに面白くなり、好きな本でも何度も読んだ本でもなくただ飲みながら中身をすこし思い出せる本の、ただの感想文になってしまったが、いかがだったでしょうか。

 映画、本の好みが合うともうそれだけで友達を超えて飲み友達にまで発展するというのはよく言われたことだが、こうして誰に向けるでもなくただ散文的に自分の思いを形にするのは良いものですね。

 1人で屋台で飲んで知らない人と話している気分になれる。

 

いつのまにか3年がたっていた

前の記事には22歳だからうんたら、という記載があったのでそこから推察するにおよそ3年近くの間が空いてしまったんだと思う。私はいま島根にいます。

あれからいろいろとあったが、これといったことはなかった。少し腹に肉がついたかなーと気になるようになり、海に潜って魚を取ったりできるようになった。あと走るのを練習して3000mでは10分を切った。すごい。

それから髪が短くなってすっきりして、積立NISAをはじめたり一人暮らしになったり、友達が社長になっていたり、25歳にもなるといろいろなことがいつのまにか周りで起きてるし、色々な人があらわれる。でも自分にはこれといったことはない。とおそらくみんなが思ってる。宇宙に行こうとしてるユニクロの社長もゴルフで優勝した松山さんも白血病から復帰した池江さんも、たぶん。そんなことはないかもしれないけど。

久しぶりに過去の自分の記事を読んでみた。

なかなか面白い?のから意味わからないのまで、しかもテーマはブレブレ。ここまで一貫性のないブログは、この「読者のために分りやすく、よみやすく!」合戦が繰り広げられているブログ界の中では逆にすごいことかもしれない。

しかし読者はほぼ0。悔しい。

というのもいろいろと考えてやっぱりブロガーとかyoutuberとか自分の力ひとつ(ときにはふたつみっつ)でお金を稼ぐというのはすごい。何がすごいかというと自分にはできない、からすごい。

「いやあ、youtuberとか顔出したり馬鹿な企画やったりとかはねえ」というのは簡単だがやるのはもう本当に難しい。とくにこんなこと言っているような人には。僕にも。

YouTubeで大成功している人をみるとだから本当に思う。この人たちは身近にいたらどれだけ天才的で超越的な人なんだろう。すごい友達はたくさんいるがその誰もがあれほどの成功はしてない。(ここでは「成功」の定義はおいときます)

自分で言うのはなんだが、これまでたいていのことはそつなくこなしてきた。バガボンドの怪我してバスケできなくなる子、みたいな感じ。(違う)

のでやろうと思えば、本気になればできるのではないだろうか、まずは始めること、千里の道に積もったチリの如し。(こうゆう小ボケが面白くないんだよなあ、と思いながらも思いついたら書いてしまう自己顕示欲なのか承認欲なのかなんなのか)

このブランクの間にいろいろなことをした。例えばこの前は、近所のおばさんにもらった立派な円卓をこたつにしようとした。あとはエクセルで家計簿的なものを作ろうとしたりした。そういったことをするためにいろいろとネットで調べることがあったが、どんなことを検索しても上位にヒットするのは誰かのまとめブログだったり、それ専門のブログだったり有名なアフィリサイトだった。本当にもうどんなことでもまとめられているし、やられつくされてるなあと思ったが、このまえ沈みテトラの位置を検索したら、とくにブログがヒットしなかったから、このブログは今後日本中の沈みテトラを調べてそこの潜ってそれぞれの特徴を比較するブログにしようと思う。

それでは、「日本全国津々浦々、沈みテトラの魚たち」ブログの開催です。

(冗談)

植民地の軍人

嘉手納基地にいった。ショックだった。

敗けたこと、今後も勝てないんだという事実を顔面に叩きつけられたよう。

なるべく今の感想を率直に残すためにあまり変な言い回しはしないでなるべくシンプルな文にしたいと思う。

嘉手納基地は日本にある米軍基地のなかで1番大きい。滑走路が2本。

ほんとにとても広い。ことは地図で見てわかっていたけど、バスで一周して衝撃を受けた。

あの基地を作るときにはおそらく計画なんてものはない。土地の枠だけ適当に広めにとって、あとはだいたいで作ってきます。そんな感じ。

ひどい。ただでさえ土地が狭い日本、ことさら沖縄で普通の神経を持ち合わせてたらあんなことはできない。反米感情、基地の経済効果云々の前に確実な事実を確信した。日本はアメリカの支配下だ。属国だ。植民地だ。

適当な計画で広大な土地が余ったんだろう、基地の中にはゴルフ場があって、その芝生を刈るのは日本人、ゴミの回収は日本人。これを植民地と言わずなんと呼ぼう。

形は違えど圧倒的に、構図はそれ以外の何物でもない。

これほど強く敗戦を意識したことがなかった。悔しいと本気で思ったし、そこの余ってる土地を返せとも思った。でも、多分無理なんであって。なんでかというと国のスケールのでかさ、考え方のスケールなんであって、日本は士官候補生の学校で語られるのは、点呼半袖長袖なんだ。非道い。おれはなんなんだろう。普通じゃないのか。異端児、変わり者、そう呼ばれることは決して嫌じゃなくてなんなら少し嬉しいと感じたりしてたけど、じゃあなんなんだ?これからずっとこうゆう壁を感じてぶち当たって1人でどうにかしようとして、し続けて、諦めて、時には壁を壊して、そうなの?

それはおれの務めなのか、どうなんだろうが知らんが、とにかく設計図は書かないといけないし、自分でなんとかしないといけない。

とにかく嘉手納基地はショックだった。原爆ドームでも平和記念公園でも嘉数高地でも史跡を回るのはいいが、おそらくどんな史跡を回るよりも確信的に敗戦の事実を目の当たりにし、属国であって支配下であって植民地であることを実感する。だから悔しいから、どうって話ではなくて、もうなんか泣きたくなる。それが伝わればそれでいい。

ストーリー

ものごと(地球上でおきてる全ての事象をさします)には、一貫したストーリーが必要でそれがないと全くばらばらのただの点の集合になってしまう。そんなことを誰かに言われたことがある。誰もそんなこと言ってないかもしれないけど。

 

スティーブ・ジョブズ(スティーブって打ったらジョブズって出てきた。さすがアップル商品)のアップルが発売したiPodソニーウォークマンの違いがそのいい例によく上がる。

手先が器用で勤勉で真面目な日本人ソニーさんはウォークマンという昭和の大発明大人気商品の音質を極めに極めついにハイドロ?(名前忘れた)たる最高の、生よりも良く聞こえるというもはやそれはそれなのか、という凡人の僕には到底理解の及ばない音質を完成させた。

一方アップルはウォークマンと比べると音質も落ちる、付属のイヤホンも比べると劣る、iTunesは使いづらそう(当時はまだ使ったことない)と当時中学生の僕にiPodという選択肢はいっさいなかった。

 

しかし、今周りを見渡してウォークマンを使ってるのは一部のコアな音楽ファンとかなり太ったオタクっぽくて汗をよくかきそうなお兄さん(偏見です)が電車で使ってるのを見る程度。

これはもう完全にiPodの勝ちではないのでしょうか。

この戦いの勝敗を決めたのが、両者の戦略いわばそこに「物語」があったか、だと言われているのです。

ソニーはたしかに音質は極めた。機械は最高のものだった。しかしそこには物語がなかった。おそらく当時のソニーの参謀に(いるのか知らないけど)話を聞いていたらきっと全く楽しくないワクワクしない何ヘクトパスカルの音が何フィーと云々なんていう退屈な話を聞かされることになったんだろうな、と凡人の僕でも想像できる。(そんなことなかったらごめんなさい。)

一方アップルには物語があった。iTunesに接続してiPodで音楽を聴くiPodというのはソフトにコネクトするために必要な仕方なしのハードであって彼らがしたかったのはそれまでの音楽を聴くという行為の概念を革命すること。当時のアップルの参謀(ジョブズ?)はきっと目を輝かして僕だったら、こいつ馬鹿なんじゃないか、と思うくらい壮大な面白いことを考えてたんだろう。

圧倒的な技術力をもってしても、壮大な物語の前には藻屑となる、という1つの答えをここで出しておこう。

 

ではここで僕のブログを振り返って読んでみるとそこには見事なくらい物語性が見当たらない。というか今の僕の人生にそう言った、人に聞かせてワクワクさせられるよう面白さやスケール感は皆無だ。

このことにブログを書いてて気づけたことはラッキーかもしれない。

中学の頃は村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んで、おれは独裁者になる、だからお前らは日本人を団結させておれを倒せ、日本人はそうして目覚める!

なんてことを本気で言える面白さ?があった。と今では思う。こうやって過去の下らない自分の考えに囚われてる時点でもうとんでもないくらい下らない人間になっちゃってるんだけど、でもまだまだ22歳と若いし、この若さは今しかないものであって、何もできないかもしれないけど何かできるかもしれない、でもまずはやってみないといけない、だから物語を語ろう、ということがいいたかったわけです。

ご静聴ありがとうございますです、ほんとに。

フードトラック

「シェフ」というアマゾンプライムで評価の高い人気の映画を見た。大変見やすくてすいすいと物語がすすみ気持ちよく内容が入ってくる映画だった。面白かった。

ちょっと昔の自分だったら、料理人ってかっこいいなー料理してみよう、ってなっておしまいだったろうけど最近うだうだといろいろ考えてたせいでまた少し違った感想を持った。

当たり前のことかもしれないけど、どこの世界でもどんなに満たされていそうでも、自分の理想と現実の狭間にたたされて多少なりともジレンマを抱えてるんだな、ということ。

主人公のはじめの頃は雇われシェフで自分の思いついた最高の料理を店でだせない、悔しい、さらに支持された通りのメニューを出したら評論家に酷評される、繰り返し、もう辞める!

となった。1人になったあとは各地で自分で好きな料理を考えて客に出すことのできるフードトラックを始める。もともと気鋭のシェフとして人気をはぜていただけあってトラックで作るサンドも大人気、お店は大成功。までが、映画の中で語られていることですが、大勢の客を裁くためにはある程度料理のこだわりは諦めなければいけないのであって、もともと追い求めた完璧なものはだせない、もしそれをやったら利益は上げることが難しくなって続けられなくなる。すると安定を求めてやはり雇われに落ち着くのが、、、というサイクルを想像してしまった。

結局その割合の話なんだよ、と思ってずっと見てた。

 

でもその割合を調整するのは自分次第でもある。だからと言って考えていたっていい方向にはいかないっていうのが最近たどり着いたところで、司馬遼太郎が言う西郷隆盛の無私の精神こそが1番強いんじゃないかっていうこと。自分よりも優秀な人間はたくさんいて自分を捨てて全て周りのために動いていればいつかその人たちが引っ張り上げてくれるんじゃないか、という考えらしい。全部はよくわからないけどとにかく今の自分には「私」がありすぎて良くないんだ、ってことははっきりとわかったのだった。

子供の頃は

変わったテストをうけました。「自分にとって人生とは」のように冒頭に未完成の文章があってそれに続く文を考えて完成させなさい、という問題。

その中に「子供の頃は〜」という問題が上から5番目くらいにありました。

他にも色々な問題が30くらいあったんですけどこの問題だけどうも印象に残ってます。

どんな答えを書いたか、は正直あんまりどうでもよくてこの問題のせいで、というかおかげで昔の自分の夢みたいなものを強制的に掘り起こされたのです。昔飼っていてとうの昔に死んで庭に埋めていた亀を掘り起こしてきてその甲羅を眺めるような事をここ最近ずーっと繰り返しているのです。

もしかしたらその亀は甲羅から手足を出して動き出すかもしれない、いやもしかしたらそれは亀じゃなかったのかもしれない。すると不思議な気分になってきて、タイムスリップのような既視感におそわれました。

でも今の自分は全く変わってなくてその考え方もそのままで余計に脳みそが活動を広げただけの、なんだか整理のつかない洋服ダンスみたいな、そんな感じです。

片付けは昔から苦手なんだよなあ。

 

不思議なのがなんだデスマス調になったのかっていう謎。そろそろ整理整頓しようかな。